いつの間にか人生の分岐点を過ぎてしまった4人は、パワー全開で観衆の前に立ちはだかり『郷』した。考える隙を与えないライヴに惑わされて、契約したがる関係者も多く結成1年にして、メジャー契約。普通デビューするはずだが、何もリリースせず契約解除。いったいなぜ?超わがままで極悪なバンドなのか?
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千葉光如 ちばみつゆき |
天野達也 あまのたつや |
水江慎一郎 シンデレラ |
水江英樹 みずえひでりん |
水江慎一郎(B)と
英樹(Dr)の兄弟リズム隊が弾き出すビートは、力任せともいえる強力なパワーで、やかましいが繊細である。タイム感の近い兄弟ならではのうねりが、でたらめで強引なベースフィルやいい加減なテンポチェンジに安定感を生み、曲に塩コショウをつけている。
その上で暴れる天野達也(G)のスタイルは、まるで頑固な職人だ。誰にも止められない。天野のギターは昔から変わらない。これから先も変わることはない。流行ファッションには敏感だが、ギターは変わらない。果たしてそれが、良いことなのか悪いことなのかは別にして、物凄いことなのか、物凄くないことなのか、音楽の歴史に判断を委ねたいところだ。
その名前どうりに光の如く輝きながらステージで唄う千葉光如(Vo)は、生まれながらのスター性を持っている。幼心のあこがれや感覚を今もそのままに追い続けて生きる自分と、そこから生まれる詞の世界は彼の唄に説得力を与える。自分の心から嘘を削ぎ落とそうとする意識が時に苦しみを大きくすると知っても、あえて子供のままでいようとするのは、それが最大の表現方法だと知ったからである。多少ずるい大人にならなければ生きていけない現代社会に、真っ裸で走っていこうとする千葉はヒーローなのか、やっぱり頭がおかしいのか。微妙なところだ。
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1993年 | 千葉、天野コンビと水江兄弟、運命の出会い(西荻の誓い) |
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1994年 | (仮)スケープゴートとして ためしライヴを決行後、暗黒のリハーサル期間に突入(まだ人前でやってはいけない状態だった) |
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| バンド名はビートルズの曲名からにしようと決まり、アクロスザユニバース だ!と言う千葉(デビットボーイがやってるから?)の意見にみんな賛成 |
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| リハーサルに煮つまってきたのでライブ活動開始。 乱暴な演奏とみんなで歌おうコーラス精神でお客さんのハートをキャッチ。 その後、原宿ルイードにて約、月1回ペースの活動 |
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1995年 | 結成6〜7回目くらいのライヴにてリアルロックス の青木さんに惚れられる |
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| 青さん仕切りのプレゼンライヴで、各レコード会社に好印象。争奪戦の末、第一希望(なんと契約金4000万)のEpicSony制作1部に決定 |
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| アクロス、リアルロックス、エピックとの三者契約成立 |
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| デモテープの出来が いまいち と言われてちょっと不本意 ソニーのイベント「What」に出演。トラブったが絶賛され、いつの間にか「インディーズの帝王」としてテレ朝系で放映 |
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1996年 | R,Jam(渋谷公会堂)出演。これまたトラブるが反応良し。 R,Night inリキッドルーム(アクロス、ブルーフィールド、宮本浩次)でトリをつとめる 。動員千人以上(まあ、ゲストに 葛城さんやら 久松やら使ってたからズルいけど。) |
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| ライヴの合間を縫って楽曲制作を進めるが、レコード会社とバンドの双方で納得いく作品が仕上がらないということで担当ディレクターが降りてしまう(決して彼が悪い訳じゃない、ていうかむしろ売れっ子で大御所だから) |
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| 2度目のWhat(パフィー等出演)でもトリをつとめるが、曲が気に入らないならと、全曲ジュリーのカバーで決行。 (プロデューサー西平彰氏が助っ人←宇多田ヒカルの「オートマチック」やった人だよ) |
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| ディレクター不在で発売日の目処が立たないからと給料がストップ(まあ当然)。バンド究極のピンチ。そんなオレ達の曲って悪いのかなぁ、じゃあ何で契約したのよ。とりあえず、才能がなくてごめんなさいと謝る。 |
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1997年 | 約1年間、ぎりぎりの精神状態の中で自分たちを支え、励ましたのは「自分たち」と「自分たちの音楽」だった。そんな大ピンチを乗り越えて活動を再開したアクロスザユニバースは、かつてない結束力と自信を取り戻していた。偉大なる自分らを誉めたたえ、酔いしれ、うぬぼれ続ける四人は、デビュー(自主制作)のため正式に契約解除(97年7月末)した後、ミスってもガッハッハの非能率なレコーディングに突入 |
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1st.Album
ACROSS THE UNIVERSE 1(アクロス ザ ユニバース ワン)発表。 |
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| 自主制作CD宣伝のためにインターネットを始める。宣伝効果ほぼ無し。 |
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| 葛城哲哉 プロデュースのイベント「赤羽のトナカイ」 に出演。大盛況 |
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1998年 | 原宿ルイード。前月盛り上がった割に動員が伸びなかったがCD売り上げは好調 |
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| バンドミーティング。 |
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| TokyoWalker(本)やブレイクアウト(テレビ)で2秒くらいの告知があったにもかかわらず 下北沢ガレージと クラブチッタ川崎 のイベントで立て続けに動員数が壊滅状態。 しばらくライブ休んで第二弾CD制作突入に決定。 |
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ライブお休み期間中の主な活動1 ライブお休み期間中の主な活動2 ライブお休み期間中の主な活動3 |
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| 池袋サイバーには一言。 |
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2nd.Album
ACROSS THE UNIVERSE(アクロス ザ ユニバース)発表。原宿ルイードイチ押しバンドとしてインディーズマップ(単行本)に掲載される |
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1999年 |
原宿ルイードでライブ。 バンド運営においてかなりピンチの事態が起こる。 |
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オープンしたばかりのオン・エアー吉祥寺でライブ。 大宮駅西口ジャックビル前で屋外ライブ。(予期せぬラスト) もはやその後のスケジュールを全うするのが困難になり 4〜5月にかけて決定していた十数本のライブ&ツアーをキャンセル。 |
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| 活動終了を発表。 |